
おれの家は群馬の豪族だったので、けっこうしきたりに忠実で、おちぶれても「七五三」の祝いとかもきちんとやる。
おれが数え年3歳のとき、近所の神社で「髪置きの儀」をやりに、祖父母、母、おれの4人で行った。親父は仕事だったので来られなかった。
母に手を引かれて、おれは上機嫌で拝殿への石段をあがって仰天した。
拝殿の中は真っ暗。そのなかに赤黒くてテカテカした巨大な口だけの獅子頭(ししがしら)みたいな化け物がいて、こっちを見てる。
「ぎゃわ~ん!」
おれは恐怖をめいっぱい泣き声で表して逃げ出した。
たたみ草履をはかされていてジャマだったので、脱いで投げつけた。小さなふところ刀も差していたので投げた。
母は、おれがいきなり泣き叫んであばれだしたので唖然としていた。
祖父は痩身で小柄だったにもかかわらず古武士のような人で、古式泳法や古式馬術をやっていた強い力でおれを押さえ、「社務所に迷惑をかけてはいけない」と言ってむりやり引きづり上げようとする。
「何かいる!いる!こわいよ。こっち見てる!」
おれは必死で大人たちに訴えるのだが、彼らには見えないようで、霊感のある母ですら「周りの人に迷惑だから」としか言わない。このときの絶望感は今でも思い出す。
3歳の子供の必死の抵抗などたかが知れているのだが、おれの怖がり方が尋常でなく、駆けつけて来た宮司が「それでは外で祝詞(のりと)を上げましょう」と言ってくれた。
おれは羽織はかまも乱れ、はだしで、顔は涙・よだれ・鼻水だらけ、さんたんたるあり様だったと思う。
宮司が一生懸命わびる母に、「いえ、こういうお子様もまれにはおられますので」と返事をしていたのを覚えている。
あとで母に社殿に何がいたのか、根掘り葉掘り聞かれたが、
「赤黒くて、お獅子みたいな大きな口。口しかなくてテラテラ光って、真っ暗だった」
程度しか言えなかった。
まがまがしいという言葉はキライだが、まさにまがまがしいモノだったな。あんなものが拝殿の中にいるとはね。
よく「夜の寺は怖くはないが、夜の神社はとても怖い」と言われるが、一般の人も少しは感じているのではないだろうか。
それにしても霊感のある母がまったく気づかなかったと言うのには驚いた。あれは子供にしか感知できない種類の化け物なのだろうか?
「7歳までは神のうち」というが…。
コメント
コメント一覧
獅子頭の神様でググっても、築地波除神社・鎌倉宮の獅子頭守…うーん
たしか旧家で祀られてる話だったけど
夜の神社たしかに怖いね。でも寺も怖いよね
ぎゃふ~ん
最たるモノは、出雲大社に祀られた「大国の主」で、神道に帰依しても「神宮」扱いはされない。
かなりの好待遇で迎え入れられてもだ。
そして邪なモノを封じる社には、必ず「ま」が入っている。
「八幡」とか「天満」とかだ。こちらは「神宮」では無く「宮」となる。
誰の「宮」だよ。
これらの共通点は、参拝の時の作法が4拍手だ。
人の霊見える人と神様の声聞こえる人とは別らしいな
七五三位名家ぢゃ無くてもやるけどな(笑)
※19 鎌倉あたりからならば、分かる家系もいるんじゃないかなーと思うけど?
神宮でググったら一番上に、こんな記事があったんだがw
>『日本書紀』では、伊勢神宮・石上神宮・出雲大神宮(出雲大社を指す)のみが「神宮」と記載 …
ウソ乙
「……推理等と云うものは家来に任せておけば善し」(意味不明
確かに、おとろしっぽいな
なんかの因果でそこの神様になったんじゃね?
群馬だと山名八幡宮かもしれん?
※21
出雲大社と別に出雲大神宮って言う神社もあるんで注意な、日本書紀の一部でそうかかれてるだけなのであまり一般的ではなかったりするのとそう記載されていたと言う過去の話で、神宮は沢山ある。
※16
大国主を主祭神としつつも神宮と名乗っている神社はある、北海道神宮とかがそう、単立であれば出雲大神宮もそう
ただ八幡宮や天満宮を邪なものと捉えてるのはかなりおかしい…天満宮は経緯からわからんでもないが八幡様をなんだと思ってんだ…
もしかすると明治時代の神仏分離令の神宮寺の廃止八幡大菩薩の禁止からそう捉えたのかもしれないが、皇族の神様に邪なモノを封じる社って言い草は酷すぎ
四拍手も神社によるし神社本庁によって、二拍手に統一されたのも割りと最近の出来事だったりする、大雑把に言えば現在神社本庁所属は二拍手でも構わないともいえる、ついでに言えば天満宮も二泊手だったりするんで…
長文野郎イェ~~~~~~~~~~~~~~~~~イ!
他人貶す前にひとつくらい気の利いたコメしたらどうよ?
この話の全てがグンマーで起きた事だと。
悪人に対してはボディプレスをしてきますが
スレ主は神仏をないがしろにする人間には育たなかったはずさ
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