83 :本当にあった怖い名無し:2009/02/02(月) 15:17:00 ID:p1mZwxDt0
私の祖父は、孫娘の私が見ても紳士然とした人物だった。
祖母に言わせると、出征前後でだいぶ変わったらしい。
酒タバコは一切やらず、賭博や女にも縁が無く、菜食主義者で几帳面。
それらのほとんどは、戦地から戻って始まった事だと言う。
想像もつかないが、暮らしがすっかり変わるほどの地獄を見たのだろう。
戦友の名を刻んだ位牌のようなものを仏壇に供え、一心に祈っていた姿を覚えている。
そんな祖父も、80半ば頃には痴呆症と言って差し支えない症状が出始めた。
ある早朝、大声で「イチ!ニィ!」と掛け声を掛けながら、上半身裸で家の周囲を走った。
それが最初だったと記憶している。
ある時は、昼のサイレンを聞いて「退避!退避!」と家中を騒ぎまわった。
ある晩には、「消灯~消灯~」と言いながら、家中の明かりを消して回った。
後で兄嫁に聞いたが、その時はその、営みの最中だったらしく、たいそう驚いたそうな。
84 :本当にあった怖い名無し:2009/02/02(月) 15:30:26 ID:p1mZwxDt0
どうも症状が出ると、一時的に戦争中の行動が出るようだった。
以前の祖父の穏やかさを知る人間には、少なからずショックだったが、
それでも徘徊や暴力とまでは行かなかったのが救いだった。
ただ、嫁ぎ先の近い私が、息子と一緒に夕食を実家で共にした時だった。
メニューはすき焼き。祖父はいつも、肉料理は見向きもしなかった。
だからといって、家族が食べる分には気にした事も無い。
一緒に食事はとるが、手はつけない「ハズ」だった。
「貴様ら供養はしたのかッ!!」
突然の烈しい声に、食卓の時間は一瞬止まったように感じた。
声の主、祖父を皆が見守る中、祖父はひとり聞き取れぬ声でブツブツとつぶやき、
鍋から一切れの肉を拾い、口に入れた。
そして、一転して力ない声で、
「これはどこの肉だ・・・?」と母に尋ねた。
ややあって、母が近所の肉屋の名を言うと、
「そんなことを聞いとるんじゃないッ!」と、また激昂して言った。
85 :本当にあった怖い名無し:2009/02/02(月) 15:40:42 ID:p1mZwxDt0
頭に血が上ったのか、祖父は二、三度軽く頭を振り、そのまま食卓を離れ出て行ってしまった。
母が後を追ったが、少しして戻ってきた。どうも仏間にいるらしい。
仏壇に手を合わせているようだ。
その後の食卓は静かなものだった。息子は半べそだったし。
半年ほどして祖父が入院し、さらに二年ほどして亡くなったが、その間、何度か似たような事があったようだ。
当時は痴呆症の症例みたいなものだろうと思っていたが、
その話を主人にした時、「何、食ったのかな?」と言われた事が、最近になって引っかかっている。
戦時中モード(?)の祖父
物なんて無かった戦争中
供養して食べた肉
そして位牌と祈り
おじいちゃん、何、食べたんですか?
引用元:http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1631828149/
引用元:http://toro.2ch.sc/test/read.cgi/occult/1631828149/
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その人が話してくれたこと
その人は銃が上手で食料調達係を命ぜられたそうな
他に見張り、運搬、調理などそれぞれ得意な人に役割が分担されていたそうな
朝早く水の流れのあるところで待ち伏せしていると大きな白い鳥が来る
それを撃って獲るのがその人の役割だったそうな
うまく獲物がとれて料理ができたらまず隊長殿に食べて頂いたそうな
父は物わかりの悪い人だったから白い鳥と思い込んでたが自分はなんとなく判ってた
でもこの人たちは悪魔なんかじゃない
兵士達を飢餓地獄に送り込んだ戦争指導者たちこそ悪魔だ と思う
いかにその理不尽さや無理難題を聞いて自分なりにどう実行したかをとうとうと話していた
子供ながらに愚痴を3時間も4時間も聞かされるのはしんどかった
そしてそのしんどさを表情に出そうものなら壁際に立たされて大事にしまってある当時使ってたベルトのバックルで頬を張られた
当時受けた理不尽さを今度は孫で晴らすのが青春時代を戦争に奪われたじーさんの慰めなんだろうと理解もしたし戦争がいけないんだと思ってはいるがじーさんが死んだ今でも子供時代の日々がそんな思い出だらけにしてくれたじーさんを恨んでもいる
理不尽から守ってくれなかった親にも言えず死んだ人間を悪くいうこともできなかったらここを利用して書き捨てていく
すっきりした
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