堤防

夜釣りやってたんだけど、普通4,5人はいる堤防なのに、その時は一人だった。

やったラッキー、仕掛けが横に流れても気にしなくていいと思ってご機嫌で釣ってたんだわ。満月の大潮で条件的に申し分なかったんだけど、その時は月がちょうど真正面に来てた。

月がこうこうと明るいのだけはいただけない。なぜかわかんないけど魚が食い渋る。と、思っていたら頻繁に強い当たりが来る。

しかし上げてみると魚が乗って来ない。エサもついたままの場合が多い。釣り師は当たりの特徴から何の魚かを推理するのが好きだが、このパターンは初めてだ。

変だな…
何度か肩透かしを食らいながらも、めげずに仕掛けを振り込んだ。今度は仕掛けが沈んで電気浮きがすーっと立つとすぐ横にポコンと丸いものが浮かんだ。

海は正面にある月の光を反射して揺らめいていたので、こちらからはその物体は逆光で真っ黒だった。大きさにしてボーリング球ぐらい。ん?係留用のブイか?

しかしその球体はすぐにスっと沈んだ。え?スナメリ(イルカ)?いやスナメリなら止まったりしないし、頭を出したら潮を吹く。

アザラシ?こんな南にいるのかな、ウなら首がついてるし…その時は何らかの動物が仕掛けにイタズラしていたのだろうという事で納得した。

それ以来ピタリと当たりが止まり、少しイラ立っていた。俺は竿を置いて座っていたクーラーの小口からカップ酒を取り出した。

風が止まって海が鏡のように凪いでいる。スルメをモグモグと噛みながらカップ酒を飲み干した。俺は落ち着きを取り戻し「ふぅっと」息をして気を取り直した。

クーラーの上で座ったまま体を90度ひねってヘッドランプを点け、クーラーの右隣に置いてあった道具箱を空けると、ベタ凪ぎならかろうじて見える小さい浮きを取り出した。

どんな小さな当たりも見逃さない作戦だ。

そしておもむろに体を起こしながら、元の体制に戻る目線の軌道上で何か見えた。堤防の際から顔の上半分だけ出して女がこっちを見てる。

俺の体は正中線にタイソンのパンチを食らったような衝撃が走った。少し濡れた黒く長い髪を真ん中で分けて鋭い目つきでこちらを見ている。俺との距離約1m。

心臓と耳と鼻が連動して拍動するほど驚いた俺だが悲鳴は上げなかった。女の顔の質感等は普通に人間だった。

どれぐらいの間見詰め合っていたかわからないが、だんだん冷静に見れるようになってきた。こちらを睨みつけてはいるが結構美人だ。俺は声を振り絞った。

「myはhにゅあんでゃすきや」

多分そんな感じ、相変わらず黙ってこちらを見ている女にもう一度息を整えて言った。

「なななんですきゃ」

女はまるで反応しない。

俺は強引に釣りを再開する事にした。俺は目をそらして体を完全に元の位置に戻すと震える手で浮きの交換に取り掛かかる。

何度もしくじって最終的にちゃんと結べてたかどうかもわからないが、一応出来た。女のいるであろう方向を照らさないように気をつけながら、もう一度横に体を折り曲げてエサを取って針に付けた。

そしてヘッドランプを消して仕掛けを振り込む。もう微妙な当たりになんか集中できるはずがない。

女は俺の少し右斜め前にいるはずだがその方向の背景は複雑な形をしたテトラポッドであるため、横目で女の頭を確認する事はできない。

ここはガン無視でやり過ごすしかない。しばらくして浮きがスポンと完全に沈んだ。おぼつかない手でアワセを入れると、またもや仕掛けがすっぽ抜けて来た。

俺はヘッドランプを点けると空中でブラブラする仕掛けをつかみエサ箱が置いてある方を照らした。

しかし俺はここで女が気になって恐る恐る地面を照らすヘッドランプの光を女のいた方向に這わせて行った。

いない…

しかし俺は背後に気配を感じてギクリとした。本当に小さい音だが、ピタッピタッと二回音がした。

俺は前だけを見て、あわてて道具をあらかた片付けると堤防の先端に移動した。後に俺は自分で突っ込んだ。

「移動するんかい!帰る所やろ!」

しかし長年通っていて行動がパターン化していた俺はこの異常事態でも帰るという発想が出てこなかった。

一体なんなんだアレ、頭がオカシな人?それにしても動く気配も感じさせずに、あの体制で堤防にぶら下がったり上がってくるなんて。

信じたくないけど幽霊?俺取り付かれたの?

俺は大分落ち着いたものの気持ちがブレていたため、道具箱から意味のない物を取り出しては仕舞ったり、竿を持ったり置いたりエサ箱を開けたり閉めたりした。

そして何とか準備してエサをつけ、仕掛けを振り込もうと、手元から海に目線を移すと女がいた。やはり顔を半分だけ出して睨んでいる。

「キターーーーーーーー!」

本当にそう叫んでしまった。
俺は少し泣きが入った。

「…もう…やめてよ…グスっ…うぅ…うっ」

女は全く反応がない。

「なんか用?グスッ、この世に未練あるの?グスッ、俺何も出来ないよ…グスッ」

俺はクーラーボックスの取り出し小口からカップ酒を取り出した。

「飲む?」

相変わらずただこちらを睨みつけているだけの女の顔の前に恐る恐るカップ酒を置くとビクッと手を下げた。

「スルメも食べる?」

スルメの袋の開いた方を差し向けて同じようにカップ酒の横に置いた。

「俺霊感とかないし…こんなの初めてだし…なんで出てくるの?お願いだから帰って」

俺が泣きながら懇願すると女はすーっと下がって見えなくなった。

俺はしばらく硬直していたが、おそるおそる腰を浮かせて海を覗き込んだ。何もない、堤防に当たる波がちゃぷちゃぷと音を立てている。

俺は目の前に置いてあるカップ酒をひったくると蓋を開けてズビズビと勢いよく飲んだが違和感にむせて酒を吐き出した。

味がない、確かにアルコールではあるのだが日本酒の味がしない。ちなみにスルメを噛んでみたがこちらもあまり味がしない。

俺はもう一つクーラーからカップ酒を取り出すとあわてて飲んだ。ズビズビ音を立てながら一気飲みした。

その後、突然魚が釣れ始めた。釣れに釣れた。

しかし心ここにあらずの俺はゾンビのように黙々と作業して、翌朝帰る頃にクーラー本体のフタを開けた俺は二度見した。

「誰が食うんだよこれ」

それ以来女は現れなかったが気配を感じる事がある。浮きの横に波紋が立ち、しばらくすると近くに来る。

俺は用意しておいたカップ酒とスルメを差し出す。そういう日は魚がよく釣れた。結局女の正体はわからないままだった。