
もう20年以上前のこと、お伊勢参りで内宮に向かう途中、式年遷宮(しきねんせんぐう)用にすでに砂利をひいてある、ひらけた場所の前を通ったとき、幻が見えた。
天まで届くかという太くて大きな柱が3本、∴の形にそそり立っていて(手前2本、奥一本、手前2本は参道に平行に近いが、時計回りに10度ほどずれていたような)木の船がゆっくりと、右から、一番右の柱の天辺に触れそうになったところで幻は消えた。
今さらだが、何の意味がある幻だったのか知りたい。柱が3本というのもよくわからないし、昔の神様が見えた時代のことなのか、それとも式年遷宮で移られる神様の船だったのか。
キリスト教やらエホバさんやら、連れられるままにいろいろ巡った自分だが、よく考えると日本の神様に縁がある気がしてきた。
次も幻の話。
これも20年近く前のこと、当時好きだった大きな神社さんのそばを夜8、9時頃に車で通りかかったときのこと。
参道から続く民家の、一軒の玄関の暖かい灯りに魅入った瞬間にまたぶわっと幻が見えた。
一人の男(時代劇農民風)が、人を殺したか何か、ひどく罪のあることをして刑場へ連れていかれるところで母親が泣いている。
場面が変わって、その男が子供の頃、友達と遊ぶシーンや、母親の視点から子供(その男)をあやすシーンなど男の一生と、母親の寂しい気持ちを、時間を移動させながら一瞬で見た。
数秒のことだったが、映画を一本見たくらいの長さで、神様か何かの記憶と感情だろうか?「見つめ続けているだけで、救えず、つらい」というとても切ない気持ちが同時に伝わって来て、一緒に泣いた。
詳しくないのでよくわからないが、山里の守り神様みたいなのは、人の生活にあまり手出しをしてはいけないのだろうか。「長く長く見つめているだけなのは、なんという切ないことか」と。
自分の好きな、愛知の大縣神社(おおあがたじんじゃ)さん付近でのこと。
コメント
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のでどこへ行っても意味はない自己満足にはなっても其れ以上にはならない。
世界中の気候を見て見なさい誰も守らなくなったから簡単に洪水、山火事、ハリケーンになる。
全ては神様を狙い続ける人間に嫌気が差したから。
事実だが誰も信じないし、信じたくないだろう。知っていても見な口を績嘘、。詐欺だと自分から言いだすバカは居ないから 感じられる人間見える人間は比べて見なさい四十年前と今を寒気を感じるだけだから暖かさは微塵も感じないはずだから。
空想のようで少し不気味な世界観の幻覚だなぁ……と
自分も「昔住んでいた家の前を巨大遺跡が滑るように移動していった夢」がリアル過ぎて忘れられないんですが、あまり真剣に考えるのは精神衛生上よろしくないと聞いた事があります
幻覚や夢、空想が現実と混じってしまい、可笑しくなってしまうんだとか……
その時にどの宝くじを買ってれば1等でしたが期限が19年間なんですよ
残念
船はわからんけど
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