
田和山遺跡(たわやまいせき)は島根県松江市にある約50mほどの丘陵(きゅうりょう)にあります。
1997年、市立病院移転のための候補地となり調査が行われたところ、せまい頂上部分を囲むように三重の環濠(かんごう)が掘られていることが明らかになってきました。
このため神話の里、島根の住民の間で遺跡保存の運動が起こり、開発を強行しようとする市側と争いになり、裁判にまで発展しました。
ところがわずか2ヶ月の間に、開発を主張していた市長、開発派の市議3人、そして開発が始まれば確実に工事を担当すると考えられていた建設会社の会長が急死したのです。
5人は高齢ではありましたが、別に入院等をしていたわけでもなく、現役で活躍しておられた方々です。このため地元では祟りがささやかれるようになり、週刊誌等でも取り上げられました。
裁判と並行して、大学での考古学的調査が続けられ、実に貴重かつ特異な遺跡であることが判明しました。これにより市側も方針を転換、史跡として保存されることになったのです。
この遺跡の特異な点というのは、三重の環濠に囲まれた面積はせまく、出雲大社(いずもたいしゃ・おおやしろ)の原型とも考えられる柵跡(さくあと)に囲まれた高床式らしい建物の柱跡(はしらあと)が発見されたものの、日常的に人が住む場所とは考えられないことです。
実際に、人が住む竪穴式住居(たてあなしきじゅうきょ)は環濠の外に見つかっています。
遺跡の時期はAD2世紀~BC1世紀頃、丘陵部分からは3000個をこえる石つぶてや銅剣型石剣などが発見されました。
ただし石つぶては使用された形跡はなく、また石剣もすぐに折れてしまうため、実際の戦闘には適さない儀式用のものと見られています。
この遺跡をめぐっては、宗教的な模擬戦闘をする施設であるとか、何か極めて重要なものを守るための施設であるとか、古代の貴人の産屋(うぶや)であるとか、様々な説が出されています。
最後に、この地方に古くから伝わる伝承として、垣に守られた山には入ってはならない、たちまちに死ぬというものがあることを付け加えておきます。
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当地の原住民は、肉体的には全く異常がなく健康な者でも、神の怒りに触れたと信じると体の不調を訴えた上に症状は急速に悪化、最後に衰弱して死んでしまう。思い込みによる強い精神的なストレスにより死に至るのである云々。
日本は、西欧文明の導入成功により世界的にも高度な文明国となりましたが、一方で古い在来文化も根強く残っています。余りに急激な西洋化のため旧来の土俗文化との整合がうまく行かないまま現代に至っており、それが日本人の精神にも(悪)影響を及ぼしているとは言えないでしょうか? 西洋にも超自然を恐れる意識はありますが、日本人の場合はいっそう強く、かつ歪な形で現われるのでは?
これでも思い切り端折って短くしたため抽象的で分かりにくい内容になったかも知れませんが、長文コメ失礼しました。
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