
何年か前、東北のある山へ登山に出かけたときのことだった。天候も良く、気温もちょうど良い。絶好の登山びよりだった。
そのせいで浮かれていたこともあったのだろう、ちゃんと登山ルートを進んでいたつもりが、いつの間にかケモノ道へ入ってしまっていた。
方角もわからず、これはまずいと思い、あせりにあせって半泣きになりながら、ろくに前も見ないでがむしゃらに進んでいると、いきなり視界の開けた場所に出た。
とりあえずケモノ道を出られたと思い、安心して辺りを見渡すと、その奇妙な光景に息を呑んだ。
そこは、えらく殺風景な場所だった。半径20メートル程のほぼ真円に近い広場で、他の場所が様々な草木で生い茂っているのに対し、そこだけが足首までの枯れ草しか生えていない。
他には、登山者の置忘れのような空の登山バッグが数点と、そして中心には、根元から枝分かれて様々な方向へ突き出している木があるのみだった。
その大きさの木では、見たことのない形だった。
近づいて見てみると、新しい枝にゆくにつれ多くなってゆく表面のするどいトゲと、反対に滑らかな表皮から、それは、たらの木であることがわかった。
加えて、この季節に葉が全て落ちていた。たしかに、たらの木であった。だが、信じられないとことに、それは根元の直径が60センチ近く、いや、それ以上あった。
たらの木とはこれほどまでに成長するのかと、これまでにないくらい、遭難の恐怖を忘れるくらいに興奮した。
さらに近くで見てみようと、体をかがめて近づく―様々な方向へ枝が突き出ているため、かがまなければ幹へ近づけない。
と、それは数本のたらの木が密集しているものであることがわかった。それでも、一本一本が恐ろしく太い。ゆうに直径15センチはあるように見える。
それに、太さに気をとられて気づかなかったが、高さも相当なものだ。確実に7メートルはある。それが様々な方向へ伸び、一目ではたらの木とわからないような形状をしている。
しばらくの間、感動してそこに立ちつくしていたが、辺りが暗くなり始めて、ふと自分が道に迷っていたことを思い出した。
しかし、一度興奮した頭が簡単に冷めるはずもなく、あろうことか荷物をそこへ置きっぱなしにして下山を開始した。
頭の中は、それを人に話してやることでいっぱいだったのだ。どこをどう進んだのかもわからなかったが、難なく山を降りることが出来た。
一安心して、荷物を全て置きっぱなしにしていたことに気づいたが、そのころには、辺りはすっかり真っ暗になっており、引き返すのは、あまりに危険であった。
それにしても、現在地がわからない。場所を告げる標識すら立っていないど田舎である。宿に戻ることも出来ない。
幸いなことに、近くに一軒だけ民家があった。
迷惑を承知で恥を忍んで戸を叩くと、人の良さそうな老夫婦が顔を出し、こちらの格好を見ると事情説明を訊くまでもなく、快く家へ招き入れてくれた。今日はもう遅いからと、食事、風呂、寝床までを用意してくれた。
彼らの手際の良さと、疲労とで、流されるままだったのだ。結局、一晩お世話になることとなった。
翌朝、彼らに泊めてくれた理由をたずねると、驚くことに、毎年このような登山者が数人現れるそうだ。それで共通するものを見て、事情をきくまでもなく招き入れたのだという。
なるほど、広場にあった登山バッグはそういったたぐいのものだったのかと、一人納得した。
その後、あのたらの木を探しに行ったのだが、いくら探しても見つかることはなかった。
あれは、そうやって登山者から食料を奪い、成長していったものなのかもしれない。
コメント
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荷物を奪ったのではない。捧げものを受け取り、代わりに加護を授けたのだと知りなさい。
大事な水食料入れたバックを置いていくのも、登山者なら理解できない
読んだのはだいぶ前なので詳細は勘弁。
そういう場所に出てしまった?
ぐずぐずしていたらヤバかったか。
もしかして「ボルテックス」と呼ばれる場所ではないか。
オカルトまとめ来ない方がいいんじゃないか?
ちょいと不思議な経験をさせてやりゃあ、もう一回しこたま食料をもって探しに来るって寸法よ!
てな具合かね
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