
遠い昔、小学2年生の時に体験した実話。
夏休みのあと、2学期がはじまり学校へ行くと、教室の窓際の机の上に花が置かれていた。
まだガキだった僕はその意味を知らず気にも留めなかったのだが、家に帰ってその話をすると母が
「夏休み中に誰か亡くなったのかな?かわいそうに」
という話。翌日学校へ行くと、あの花はもうなくなっていて席にはY子が座っている。
「昨日、花なかった?」
とさりげなく聞いても
「知らない」
という返事。
1学期から誰かが欠けていないかクラスの連中を見渡しても誰も欠けていなくて、あの花は見間違いだったのかな?と思うようになった。
花の一件でY子と話す機会があったせいか、帰り際にY子から遊ぼうと誘ってくれて一緒に彼女の自宅へ行った。
彼女の自宅は小さな一軒家。家の中は誰もいなくて、まるで時が止まったかのように暗く静まり返っていて、2人だけでテレビを見たりゲームしたり子供ながらの楽しい時間を過ごした。
女の子と上手く会話すら出来ない僕だったのだが、Y子とはなぜか気が合う感じがして、放課後は、次の日も次の日も連日、彼女の家で遊ぶ日々が続いた。
そんなあるときY子が急に泣き出して、もうすぐ会えなくなるんだという。
「引っ越すの?」
と聞くと、しばらく考えて
「うん」
と消え去りそうな声でうなずいてから
「これ、私だと思って大事にしてね」
と花の形をした香りのいい消しゴムをくれた。そして翌月、彼女は学校に来なくなった。
その日、運動会の模擬練習で体操をやっていた時に運動靴のヒモがぷっつりと切れた。
次の日も次の日もY子は学校に来なかった。僕は彼女の家に行ってみることにした。彼女の家は鍵がかかっていて誰もいない様子。
「ごめんください」
と何度も何度もしつこく覗いている僕に、隣近所のおばさんが
「そこはもう今は誰も住んでないよ」
と話しかけてきた。
やっぱりもう引っ越してしまったのかなと思う僕に、おばさんが言うには三人家族で、夏休み中に事故にあって両親ともにY子も亡くなったのだそうだ…
そんなはずはない!?気が動転して僕は何が何だか分からなくなった。
彼女が学校へ来なくなって運動靴のヒモがぷっつりと切れたあの日がちょうど事故から四十九日だったのである。
でも僕の手には、Y子にもらったあの消しゴムがちゃんとある。あのときY子は「ありがとう」と、さびしそうに僕に言った。
大人になった今も、引き出しにしまい込んだ、あの消しゴムを取り出して、もう薄くなりかけている香を嗅ぐたびに彼女のことを思い出している。
『Y子の思い出』でした。
コメント
コメント一覧
夏休み中に引っ越した、とか誤魔化すならわざわざ花なんか机に置かないだろ。
まぁ小2だから教師の話なんか聞いちゃなかった、って後出しだろうが、親だって親のつながりで、誰が亡くなったか聞いてるだろうに。子供が「机の上に花」の話をしたなら、教えそうなのに。
女の子どころか、家族ともろくに会話できなかったのか。
親が「誰かなくなったのかね、かわいそうに」の反応はないと思う
テリーマン!
令和の話か?
靴の紐が切れるのは、人の死を知らせる・不吉なことの前触れなどとされてるから、49日だからY子(の霊)がこの世にとどまっていられなくなる、を暗示してるんだろ。
何のミスリードだと思ったのか知らんが。
他の親や近所と関わってねーのか?
子供のクラスや学年の情報が子供以外から入ってこないのが当たり前だと思ってるなら、ちょっとおかしい。お前の親もそうだったのか?
どこからどこまでが本当の記憶か分からなくなる
そこが味わい深い
幼馴染、地元、幼稚園などとあるところから、自分の出身地で繁殖しているマイルドヤンキーと思われるが、だとしたら尚更親同士のつながりがないのはおかしい
考えられるのは、配偶者任せで育児ノータッチであること
句読点の使い方が独特で怖い文章。
先生は何も言わなかったけど卒業する頃には、ああ、亡くなったんだなって気づいた
この先生も言わなかったんじゃないかな
今でもその子の顔も声もはっきり覚えている
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