15/08/24
俺が小学生の時の話。
家の近所にお寺があって、よく遊びに行っていた。そこには70歳くらいの住職がいて、境内やら敷地やらに入っても、怒らず自由に遊ばせてくれた。
たまにお菓子なんかも出してくれて、俺は近所に住むタカシと放課後はよくそこで過ごしていた。
その寺は近所に多くの檀家をもっていて町内の寄り合いやら、新年会なんかもそこで行っていた。住職は物腰の柔らかい温和な老人という感じで、町の人たちからの信頼も厚かった。
ある日、俺とタカシがいつものように寺で遊んでいると住職が、おもしろいものを見せてあげよう、と言ってある人形を出してきた。
その人形は15cmくらいの小さめの人形だった。濃い赤の和服を着て、白い顔と長い髪、細くてつぶらな瞳が印象的だった。
市松人形とは少し違って全体的に細身な出で立ちだった。また、かなり古い人形みたいで最初は鮮やかな赤だったと思われる和服の色は黒ずんでいて、ところどころ破れていた。
髪もぼさぼさで、色の落ちた髪の毛は白髪のようにも見えた。そのためか顔の表情は生気がなく、少女の人形というよりは老女の人形と言った方が正しいような見た目だった。
住職はその人形を俺とタカシの前に出し、人形の頭をつかむと指を立てて少し強めに押した。すると、
「…ぁ…ぃぎ…ぃぃ」
人形が鳴いたのだ。
「すげー。音出した。」
俺とタカシは驚いた。
住職は俺とタカシの驚いた様子をみて少しニヤニヤすると、黙ったまま今度は人形の首に親指を立て、喉をグッと押した。
「…ぅぅ…ぎぃぃ」
また人形が鳴いた。さっきとは少し違う鳴き方だ。
「おお。また鳴いた!住職これどうなってんの?」
俺はきいた。
「さぁのお。ワシも詳しい仕組みはわからん。じゃがおもしろいじゃろ?お前らもやってみるか?」
住職はそう言うと俺とタカシに人形をさしだした。
俺は住職のやったように人形の頭をつかんで軽く握ってみた。しかし人形は音をださない。タカシも同じようにしたが人形はなにも反応しなかった。
「あれ?音ならないよ。住職どうやるの?」
タカシが聞いた。
「ひひひ。ちょいとコツがあるんじゃよ。ただ少なくてももっと強く押さなきゃの。」
住職は笑いながら言った。
そう言いながら住職は人形を逆さに持ち替えた。そして今度は人形のヒザを固定し、ヒザから下を普通とは逆に曲げた。
人形の足の関節はミシミシいっていたが住職は気にしない様子だった。
「…ぎゃぃぃ…ぅぅ…」
人形がまた鳴いた。住職はそれをみて満足そうに笑った。
「別に人形をいたわらなくてもいいんじゃよ。むしろ壊すくらいの気持ちの方がいい声で鳴いてくれるんじゃ。」
住職は言った。
その後、俺とタカシは人形を鳴かせることに成功した。
確かに、ためらわずに強く押したり、曲げたりすると鳴くのである。別に鳴くポイントがあるわけじゃなく体のいろんな部分を押し曲げしても鳴く。
鳴き方も一定ではなく、いろんなバリエーションがあって、本当にどういう仕組みなのか不思議だった。
ただその人形はどのバリエーションで鳴く時もとても苦しそうに鳴いた。
また古い人形のせいか顔にもシミがあったり、ところどころ色落ちしていたため表情が暗く見える。だから鳴く時は苦悶の表情を浮かべているように見えた。
最初はおもしろがっていた俺も、だんだん気味悪く感じるようになった。
「ねぇ、あきたよー。タカシもう行こうよ。」
俺はタカシに言った。
「もうちょっと。もうちょっと。」
タカシはまだ飽きていない様子だ。住職と一緒にあの手この手で人形を鳴かせて笑っていた。
俺はその日、先に帰った。
その日以降も今まで通り、俺とタカシは寺によく遊びに行っていた。ただあの日以来、あの人形のことが気になるようになった。
住職は普段は人形を古い木箱の中にしまっていた。さすがに町内の大人たちに、人形で遊んでいる姿を見られるとまずいと思っていたのだろう。
だだ、たまに俺とタカシのいる前だけ、人形を木箱から取り出して見せつけるかのように鳴かせるのだ。
「実は毎晩これをやるのが日課でな。ひひひ。」
住職はある時こう言っていた。俺は、毎晩部屋で一人、人形と戯れている老人の姿を想像して、すこしゾッとした。
また、俺には不思議に思っていることがあった。あれだけ人形に執着している住職だったが、人形のあつかいはひどくぞんざいだったのだ。
鳴かせる時に乱暴にあつかうのはもちろん、手入れは全くしていない様子だった。人形は常にボロボロな状態だった。
ある暑い夏の日なんかは、人形を炎天下の中、直射日光のあたる縁側に置いていた。
「こうしておくと、夜いっそういい声で鳴くんじゃっよ。」
住職はニヤニヤして言っていた。
そんな風に人形と関わる住職を知ってからは、俺にとって住職は、温厚で知識豊富な町の賢者というよりはただの気味の悪い老人になっていた。
次第に寺からも足が遠のき、めったに寺の敷地には近づかないようになっていった。ただタカシはあれからもちょくちょく寺に遊びに行っていたみたいだったが。
1年くらいたったある日、住職は死んだ。病死と聞いたが詳しくは知らない。
住職の死後、寺は住職の甥が引き継ぐことになった。その際、寺の大そうじをすることになった。
普段お世話になっている近所の人たちも手伝うことになり、俺やヒロシも親に言われて駆り出された。
寺では昔から、心霊写真等の霊的にいわくつきのものを預かる習慣があったそうなのだが、後を継ぐ住職の甥はあまり信心深くないというか、寺にあったそれらまでいっせいに捨てようとしていた。
その中にあの人形もあった。
俺はあの人形が捨てられると思うと安堵した。しかしその時、ヒロシがその人形をほしいと言いだした。
「君、こんな小汚い人形がほしいの?」
住職の甥はけげんそうに聞いた。
「うん。ほしい。」
ヒロシは言った。
俺は止めた。こんな気味の悪い人形はさっさと捨てるべきだと思っていた。住職の甥もあまり譲ることに乗り気でない様子だった。
しかしヒロシは頑として譲らなかった。結局ヒロシはその人形を持って帰ってしまった。
「あの人形てなんなの?」
ヒロシが帰った後、俺は住職の甥に聞いた。
「さぁ。俺もよくは知らないんだが、かなり昔から伯父はもっていたな。たしか30年くらい前からこの寺にあった。」
住職の甥は言った。俺は住職の甥に、住職と人形についてあったことを話した。
「そうかぁ。君も鳴いているところを見たのか。気味の悪い人形だったろ。」
住職の甥はそう言うと、あの人形について教えてくれた。
あの人形は30年くらい前から寺にあったらしい。その頃、住職の奥さんがどこかの若い男と不倫したあげく駆け落ちしてしまって、住職はひどくふさぎこんでいた。
一時は自殺でもしそうな勢いだったらしい。そんな時、住職はどこからかあの人形をもらってきたのだという。
それ以来住職は、その人形をいつも手の届くところに置いておき、暇を見つけると人形を鳴らしていたらしい。
住職の兄弟もその様子がとても嫌で、何度となく捨てるよう住職にうながしたが、そのたびに住職は強く拒否したと住職の甥は言った。
「結局伯母は戻ってこなかったけど、伯父はあの人形にこだわることで生きる希望をもったように見えたよ。そういう意味ではあの人形をもらってきて正解だったのかもしれない。」
住職の甥は言った。
「そうなんだ。なんか住職かわいそうだね。それにしても住職の奥さんはひどい人だね。駆け落ちしちゃうなんて。」
俺は言った。
「まぁね。でも伯母は家を出てしばらくして事故で死んだらしい。人伝で聞いた話だし、葬式にも行っていないけど、結構むごい死にかただったらしい。自分の親戚とはいえ、自業自得だなとその時は思ったな。」
住職の甥は遠くを見ながらさみしそうに語った。
数日後、タカシの家に遊びに行く機会があった。
タカシの家は少し問題のある家庭で、親父さんが働いていない。毎日飲んだくれてはタカシの母親やタカシに暴力をふるっていた。タカシの顔にはよく痣があった。
そんな家だから、あまりタカシの家に行くことはなかったのだが、その日はたまたま親父さんがいないとのことで俺はタカシの家に遊びに行った。
「あの人形はどこ?」
俺はあの人形のことが気になっていたから素直に聞いた。
「ああ、あれはあそこにしまってあるよ。」
タカシはクローゼットの方を指さしながら言った。
「やっぱ夜とかに鳴かせてるの?」
俺はタカシが住職と同じようなことしているのではと不安になった。
「いや、もらってきてからあそこに閉まったままだよ。」
タカシは言った。
「あ、そうなんだ。でもタカシは、なんていうか…、あの人形のこと気にいっていたみたいだから。」
俺は言った。
「うーん。別に気にいってたわけじゃないよ。それに今はあの人形を鳴かせようとは思わないな。鳴かせても意味ないし。」
タカシは言った。
俺はそれを聞いて安堵した。もらうにはもらったが、結局タカシもあの人形に飽きていて、タンスの肥やしにしているだけなんだと思った。
『鳴かせても意味ないし』という言葉は一人で人形を鳴かすことの馬鹿らしさにタカシも気づいてくれたんだと思った。
それから数日後、タカシの親父さんが死んだ。家にいる時、突然心臓発作で死んだらしい。俺は親に連れられ、葬式場をおとずれた。
式場でタカシの母親にあいさつをしたが、タカシの姿が見当たらない。どうもまだ家にいて、一人部屋でふさぎこんでるらしい。
どうしようもない親父だったが、やはり父親は父親。突然死んでタカシもショックだったのだろう。俺は元気づけようと、タカシの部屋をたずねることにした。
その日は曇りで、俺がタカシの家をたずねた頃にはあたりは真っ暗だった。
タカシの家に着いたものの、家の明かりがついていない。呼び鈴を鳴らしたが反応がない。おかしい。
タカシがショックのあまり自殺でもしているんじゃないかと不安に思った。だから鍵の開いていた玄関の扉を開け、無断でタカシの家に上がった。
タカシの部屋は2階の一番奥にある。階段をあがっている時、その音は聞こえた。
(ドンドンドン)
「…ぅぐぐぐ。ぅぃぃぃややや…」
(ドンドンドン)
「…ぁぃぃぃぃぃ。ぅぐぅぅ…」
なにかものを叩くような音。その合間に誰かのうめくような音。
ひどく陰湿な響きである。俺はどうしようもない不安にかられた。しかしタカシの安否が気になっていた俺は、勇気をだして進んだ。
タカシの部屋の前まできた。その音はタカシの部屋の中から聞こえた。俺は勇気を出してドアを静かに開けた。
ドアを開けるとタカシの後ろ姿が見えた。なにか作業をしているように見えた。とりあえずはタカシの無事を確認できて俺は安堵した。
タカシは部屋に入ってきた俺に気づいていないのか振り向きもせず、なにかの作業を続けている。
体越しでよく見えないが、拳を振り上げなにか布みたいなものを叩いているように見えた。
(ドンドンドン)
拳が勢いよく振り下ろされるたびに乾いた音が部屋に響く。そして
「…ぉぐぐぃぃ。ぅぐぐぃぃぃ…」
低くこもったような声が部屋に響く。苦悶に満ちた声だ。俺はその声がタカシの目の前にある小さな物体から聞こえていることに気付いた。
その時、タカシが振り向いて俺を見た。タカシはひどく無表情だった。なにも言わず、ただ無感情に俺を見ていた。
しばらくお互い無言で向かい合った。
「よ、よぉ。ごめん、なんか勝手に上がらせてもらっちゃった。タカシ落ち込んでるって、タカシのお母さんに言われたもんだからさ。」
俺はなんとか言葉を振り絞った。
「…。そうなんだ。」
タカシは表情をかえずにそっけなく言った。その時俺は、タカシが左手であの人形を持っていることに気付いた。
「その人形…。」
俺は言った。それを聞くとタカシはニヤリと笑った。そして
「これ。いい声で鳴くようになったんだよ。」
タカシはそう言うと、右手の拳を人形の体に勢いよく打ち付けた。
ドン!
乾いた音とともに
「…ぅぅぐぐぐぃぃ。」
人形が低い声で鳴いた。
同時に俺はあることに気付いた。住職が持っていたころ出していた音とは、明らかに違う。低くこもった音だった。出る音も、前より大きくて長めに出ている。
「あれ?その人形の出す音って、そんな音だったっけ?」
タカシはそれには答えず、人形を俺の方にさしだした。
「やってみる?」
かつて住職が俺とタカシに初めて人形をみせた時のように。
「いや、いいよ。俺は…。」
そう言うと、また俺はあることに気付いた。人形の顔が違う?
俺の知っている人形は、白髪混じりの長い髪で、老女にも見える出で立ちだった。しかし、今、目の前にさしだされた人形は髪は黒々しており、髪型も短くなっている。
そしてなにより、顔の輪郭が前より角ばっていて老女というより、男の顔にも見えた。
「タカシ…。人形の顔替えた?」
俺はきいた。
「別に…。」
タカシは憮然として言った。
すでにもう俺の方を向いていない。
「いやでも、あきらかに違ってない?」
俺は言った。タカシは俺の言葉を無視した。
「タカシ。」
タカシは応えない。
「タカ…」
「用がないならもう帰ったら?」
もう一度呼びかけようとした俺の言葉をさえぎるようにタカシは言った。
「あ…、でもタカシ、その人形…。」
「さっさと帰れよ!!!」
タカシはどなった。振り返った目が血走っていた。
「あ…。ご、ごめん…。」
俺はタカシの不気味な迫力に圧倒され、そそくさと帰った。俺が部屋を出る時も、タカシは人形を拳で殴り続けていた。
ドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドンドン
「ぐぐぐぐぐぅぎぎいぎぎぃぃ…。」
俺はもう、その音を聞くのが耐えきれなくなり、耳をふさぎながら、必死でタカシの家をあとにした。
その後、タカシは引っ越した。母親の地元へ行ったらしい。あの日以来、俺はタカシと会っていない。
あれから二十年以上たった。
俺はオカルトに詳しい知人などの話から、呪いの人形の中には、呪い殺した相手の魂を成仏させず、人形の中に閉じ込め、殺した後も蹂躙(じゅうりん)できるものがあると知った。
あの人形がそうだったかは、わからない。だが今でもあの人形がだす苦悶に満ちた声を思い出すと、背筋が寒くなる。
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