
944本当にあった怖い名無しsage2006/07/15(土)23:00:59ID:HTeI1yVxO
もうこれだけ時が経ったから話しても良いかな‥
地下鉄サリン事件の時、そのことを知らなかった。
その日、私はオウムに拉致監禁されて第7サティアン横の独房に入れられていたから。
信者でもないのに拉致監禁された私は、当然いたぶられた。他の人が見せしめに逆さ釣りにされて竹刀で叩かれながら死んで行く姿を見せられたりもした。
私もいたぶられて仮死状態になり、死体部屋に入れられたこともあった。死体部屋で息を吹き返した後、狭い独房に入れられた。
ポア=惨殺ということも知らなかった。周りが1人、また1人、「ポアの儀式」に呼び出されて、二度と帰って来なかった。
ポア=破門と聞かされてたから、=監禁から解放されて家に帰れるものとばかり思っていた。
ちょうど地下鉄サリン事件の日、私にもやっとポアの儀式の順番が回って来た。
独房のドアの向こうから、
「今からポアの儀式だから!10分で私物まとめといて、すぐ出られるようにして!」
と言われて起きて、ソッコー荷物をまとめたんだけど、顔は寝腫れしてるし、髪の毛はまとまってない。
「10分じゃ無理!なんで急に言ってくんだよ!」
と怒鳴り返したら、
「じゃあいい。あなたはまた今度。はい、じゃあ○○さん、10分で荷物まとめて!」
と、クビ。
代わりに隣の独房の男の子が呼ばれて、出てった。
その2日後、強制捜査が入って、私達のような信者でない被害者達が救出された。信者はシャバに出るのを怖がり自ら居残った。
あの時、素直に10分で支度して従ってたら、私はどんなポアをされたんだろうか。
救出の日、第7サティアンで拾った腕時計を今も持ってる。
格闘の跡なんだか、枠や表面のガラスがガジガジに傷だらけになってた。
今はまだ、PTSDを克服出来ずに、遠くに富士山を見るだけで頭痛と目眩、動悸、吐き気で瀕死になる。
いつか、PTSDから解放されたら、あの日拾った腕時計を供養したい。
カウンセラーは、忘れなさいと言うけれど、忘れることなんて出来ない。
転載元:死ぬ程洒落にならない話を集めてみない?

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なぜ化学屋の俺が呼ばれた?初めての経験だった、そこで「サリン」の言葉を聞かされた
当時、化学兵器の装備がなかった、保有しているのが北海道の自衛隊だと教えられた
会議では部下を自衛隊で訓練することに決まった
フェリーで北海道に着きそこからバスの大名行列で東千歳駐屯地に入った
到着した我々と自衛隊の幹部との会議で乱闘寸前までになった
その理由は今も話せない
訓練は順調ではなかった、自衛隊の幹部との言い争いが続いたからだ
しかし時間とともに訓練も終わった
それからしばらくして松本で撒かれた
会議が開かれ、ある決定が下された、「被害者の住民が犯人に見えるように行動する」
テレビはその住民が犯人扱いの報道が連日続いた
あのときの自衛官幹部から本部に電話がきた、ただ一言「我々は犯人にされている人を守る」通話は一方的に切られた
自衛隊は何をするんだ?本部はその話で一色になった
翌日、マスコミ各社にFAXで「犯人はオウム真理教・・・」、バレた
方針はもっと大きくしてから、それまでは静かに育てる、つまり待機だった
報道がどんどん加熱し「オウム」「オウム」「オウム」、あの被害者の住民は忘れられた
我々は待った、待った、待った
カナリヤが届いて、しばらくして「いよいよ明日だ」と告げられた
当時は絵空事だと思っていた
そして地下鉄で撒かれた
調べるなら覚悟しろよ、無茶苦茶胸糞だからな
幸多からんことを祈る
なんか特殊な技術を持ってて協力させられそうになってたとか?
自分がカルト被害者問題の講義で聞いたのは、信者を拉致するところを「見られたかもしれない」「見られたら困る」と拉致られた赤の他人。
それから拉致対象者が社交的で、いなくなったらすぐ騒ぎそうな知人。
つまり、オウムのオの字も知らないような人も、拉致監禁致死された。
坂本弁護士の事件当時、奥さんが妊娠時参加していた「母親教室」の一部参加者に不審な電話があったそうだよ。
どこまで深い付き合いか、確認するためなんだと。
うへぇ。
どのルートで電話番号が漏れたのだろう。
入り浸っていたんだけど、第7サティアン突入の数日前に掲示板で自衛隊から警察に
防毒マスクの大量貸し出しがあったからいよいよ何か起こりそうだという書き込みが
あったのを覚えている。
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