09/05/08
以下は私が聞いているその時の私の母の体験談です。
今から70年以上前のおそらく昭和6年前後の出来事ですが、私の母方の祖母の実家で法事をしていたときのこと。
突然祖母に祖先の霊が乗り移り「我は細川四郎左衛門なるぞ」とか「我は綾民部の守なるぞ」とか「我はなに姫なるぞ」などと
四、五人の名前を名乗り、「何百年の間、水一つもらって飲んでいないので喉が渇いてたまらない、水を持て」と言うので
コップに水を持ってくると、「こんなものでは足りない、この大鉢に水をなみなみに持て」と言われ、そこにあった水が一升も入る鉢を差し出されました。
(このとき男の霊が憑いた時には男の声に声色が変わったそうです)祖母は一気にそれを飲み干すと、「なお疑う者あれば、今夜正法寺に集まるよう」と言って霊は消えたそうです。
(それらの人物は後に寺の記録で実在の人物であることが確認出来ました。)
その夜みんなが半信半疑で寺に集まっていると、突然火の玉が飛んできて庭に落ちると物凄い音とともに飛び散り、
お堂の中でお茶を飲んでいた大人達がなんだなんだと飛び出してくると同時に、今までただの山だったお寺の前の「城山」がお城に変わり、
立派な追手門が出現し、早馬(伝令)と思われる馬が駆けてくると、腰元が薙刀を小脇に抱え、たちまち人馬が飛び交う戦が始まったそうです。
その時の戦死者を合葬した上に植えた木の上に一人が登り、悔しそうに木を揺すっている姿もあったそうですが、
この場面は現代の実際に植わっている木を揺すっていたことになり、翌日その場所に行ってみるとその木の葉が一面に散っていたそうです。
その光景は当時6歳前後の母にはまるで白黒映画を見ている様で、母はその時祖母に抱かれて障子につかまり手がわなわな震えていたことをはっきり憶えているそうです。
その場には親戚一同30人ほどが居たのですが、全員その情景を目撃しましたが、面白いことにその中に一人だけいた親族以外の人には何も見えなかったそうです。
翌日山狩りをして祖母が指し示すところを掘ると家紋入りのかんざしや小刀などが出てきたそうです。(その時出土したものは今も正法寺にあるということです)
更にこの話には後日談があるのですが、当夜城山から一里(約4キロ)程離れた町から山全体がボーっと明るくなったのが見え、村の青年団の祭りでも始まったのかと
思って自転車で駆けつけ山のそばまで来たところで明かりが消え、何があったんだろうと不思議がり、地元の地方紙の青木と名乗る新聞記者が村祭りが行われたと思って取材にきて
この話を聞き、一面に「神霊現る」という記事になったそうです。
581:09/05/08(金) 02:07:32 ID:JSmeZUZTO
そーゆー体験ならしてみたいねぇ。
お墓参りした後、妙に寿司が食べたくなって親誘って回転してる寿司食べにいったら
いくら食べても満腹感がこなくて20皿以上食べて(いつもは10皿いくかいかないか位)更にお茶もがぶ飲みしたことあったわ。
水も大鉢ぐらいって結構な量だけど、飲みきれるのかなと気になったら思い出した。
582:09/05/08(金) 02:08:06 ID:guyjLw620
なんかすげえな
引用元:http://anchorage.2ch.net/test/read.cgi/occult/1239716040/
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そしてその霊は満足したら成仏する。だから自分はこういう体形(小太り)なんだそう。
ということは大食いタレントも無意識に成仏させてる?
昔、ある有名な僧の話
その人はガリガリで小さな体なのに、およそ体に見合わない量の供物やお斎を食べることで知られていた。
ある貴族が彼を呼んで話をしたところ、自分の功徳を求めてたくさんの餓鬼がついており、食べ物は自分ではなくその餓鬼だという。
貴族は僧に法要を頼み、終わったあと大量のお斎でもてなした。
すると僧は屋敷中に並べられた大量のご馳走をおおいに食らい、飲み、まだまだ求めたので、屋敷の者たちは驚いた。
だが貴族には、僧の周りにいる哀れな餓鬼たちが食事をする様が見えており、非常に満足した。
という話が、宇治拾遺物語だかにある。
江原啓之の言うことが本当なら、太ることはないし病気にもならん。何より遺伝しない。
と、学者が言っていた。江原自身それに反論できずに不摂生を茶化していた。
調子に乗って、物を知ってる人にすぐ疑われるような事をいうから、インチキと思われるんだよ、霊能者やスピリチュアルは。
でも3回お代わりするのはどうかと思って次の蕎麦屋に行ってまたそこでも2回お代わりして、
山登りしたら腹減るんだなあと思ってたが、山でおなか減った人の代わりに食ってたんかな。
今思うとなんでそばだったのかわからんし。
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