戦国時代に起きた後味悪い話。
奥州統一を目指す甥の伊達政宗と争い、謀略に優れ家族への愛も深いと言われた最上義光(もがみよしあき)。
彼には東国一の美女と言われた駒姫(こまひめ)という娘がいた、最上義光は駒姫をとても可愛がっていたが、時の関白(ほぼ最高権力者と言える)であった豊臣秀次(とよとみひでつぐ)に見初められ、側室にと要求されてしまう。
最上はこれを渋ったが、豊臣に逆らうことが出来ずに駒姫を差し出すことになる。
だが駒姫が大阪に向かう中で「秀次事件」が起きる。豊臣秀次が太閤豊臣秀吉(たいこう とよとみひでよし)に謀反(むほん)を起こそうとしたとして切腹させられたのだ。
これに対する処罰はあまりに重く、秀次の子供をふくむ家族(ほぼ全員だが一部は生き延びた)の他に側室、侍女(じじょ)ですら秀次に近しかったものは全て処刑された上、遺体は全て同じ場所に捨てられ埋め立てられた。
これは当時としても異例中の異例といえる、あまりに非道な仕打ちだった。
そんなことも知らない駒姫は大阪に入る。駒姫は側室になるために大阪に来たが、まだ正式には結婚していなかった。しかし他の側室と同様とみなされ、処刑されることになってしまう。
これを知った最上は、豊臣家への絶対の忠誠を誓う血判状(けっぱんじょう)を差し出してまでも娘の命を救おうとし、他の大名からも助命嘆願(じょめいたんがん)が寄せられる。
秀吉もさすがにこれはやりすぎと思ったのか、処刑中止を命令したが時すでに遅く、駒姫は何の咎もない身でありながら15歳でその命を散らす。
そして他の者達同様に遺体をまとめて埋め立てられてしまう。最上は愛する娘の遺体を引き取ることすら出来なかった。
さらにこの14日の後に、最上の駒姫の母である正室も後を追うように亡くなる。最上は「これも全て前世の行いのむくいなのであろう、受け入れるしかない」と漏らし悲嘆したという。
晩年の秀吉のアレな行為の犠牲者達のエピソードの一つ。
ちなみにこの事件でひどい目にあった大名は、軒並み関ヶ原の戦いで徳川側に付いている。
925:本当にあった怖い名無し:2012/11/02(金)06:50:59.67ID:8cJNGtIM0
そこまでして後継に据えたかった秀頼(ひでより)が実子じゃないかもしれないというのが後味悪いよな。なんかまじめにそういう研究してる人がいるらしいけど。
だいたい、あれだけ側室いて女に手出しまくりで孕んだのが茶々一人って状況的には真っ黒すぎだろ。
本人ちらとでも思わなかったのだろうか。もう疑ったら負けみたいな感じか。
907:本当にあった怖い名無し:2012/11/01(木)14:01:25.30ID:IKw8gvYS0
可哀想だけど一応因果応報で秀吉が滅びたから良かったのかもな。
義光「自分の因果だ」と素直に受け入れたんだから、来世では家族仲良く暮らせているといいね…
917:本当にあった怖い名無し:2012/11/01(木)21:10:23.68ID:X06WOl7d0
ちなみに最上家は最上義光の死の数年前に嫡男義康が謀殺されて、最上義光の死後、家督相続で色々揉めて結局江戸幕府から改易処分を喰らって大名取消になってる。
家名の存続は許されて現代まで子孫は生き残っているみたいだけど。
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コメント
コメント一覧
秀吉が本気で神仏に祈ったのは、自身の母親と子だけだったそうだよ。
結果的に良かったんじゃないのか?力の持ちすぎる一族がいると政権を取って代わられるおそれだってあるし。粛清を恐れて老臣権を辞退した榊原家はまじ有能
※4
本多家は安祥譜代と呼ばれる松平家の最古参の家臣団の一角、本多家から大名に取り立てられた者も多い
最古参の一角なので一族大杉
宇都宮吊天井事件で改易されたのはその中の本多正純(弥八郎)家
忠勝家・彦八郎家・正重家・康重家の各本多家(それぞれ、各系統の宗家)は幕末まで大名の名籍を維持している
全員殺すのに五時間かかったという…
最上こそ因果応報を食らっただけだろ
茶々を側室に迎える前の、まだ羽柴姓だったころじゃないかな?
うろ覚えだけど。
だがまだ許さん
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