港

08/05/08
一昔前のことですが、目の前で見た、ちょっと洒落にならない話です。

年末、某県のフェリー乗り場で船の時間待ちをしていた。さむぞらの下、ベンチに座って海を眺めていたら、駐車場で妙な動きをしている軽自動車に気が付いた。

区画に入れたと思えばすぐに出たり、駐車場内をグルグル回ったり。何してんだ?とボンヤリ見てると、俺の側まで来て停まり、中年の痩せた女が出てきた。

続けて、娘と思われる小学校低学年くらいの女の子と、もう少し年長の女の子が出てきて、中年女にジュースを買ってもらっていた。

自販機を探してたのかと思い、俺はそれきり興味をなくしていた。

しばらくして、パトカーが駐車場に入ってきた。フェリーの建物に横付けして停め、中から年寄りの警察官と、若い20代前半くらいの警察官が降りてきた。

のんびりとした様子で、事件とかいう感じじゃなく、ゆっくりと建物に入っていった。年末だったんで、歳末警戒とかいうやつだろう。

俺もそろそろ中に入ろうかなと思っていると、駐車場の方からタイヤがこすれるキキーという音が聞こえた。とっさに振り返ってみると、さっきの車が急発進していた。海に向かって。

スローモーションみたいに、車がゆっくりと岸壁から離れ、アっと思っている間に頭から海中に飛び込んだ。

俺は、しばらくの間ぼうぜんとしていたが、誰かの「車が海に落ちたぞ!」という叫び声で我に返った。

辺りにいた数人と、岸壁まで駆け寄る。車は、ケツを水面に出してプカプカ浮いていた。俺はどうしよう?と思ったが、何も出来るわけがなく、波間にユラユラ揺れる白い車を見ているだけだった。

しばらくして、フェリーの建物から従業員と、先ほどの警察官二人が走ってきた。しかし、彼等にしたところで何が出来るわけでもなく、岸壁まで来てぼうぜんと立ちつくした。

重苦しい緊張が場を支配する。やがて意を決したように、若い警察官が上着と拳銃などを吊したベルトを年配の警察官に渡すと、一気に海に飛び込んだ。

海面に浮き上がった警察官は、徐々に沖に流されつつある車に向かって泳ぎだした。

「頑張れ!」

周囲から警察官に向かって声援が飛ぶ。俺もわれ知らず叫んでいた。

その警察官はあまり泳ぎが得意ではないらしく、浮き沈みしながらも何とか車までたどり着いた。そして、車体に手をかけ、リアウィンドウの上によじ登る。

車は警察官が乗ってもまだプカプカ浮いていた。岸壁から大きな歓声が上がる。警察官は窓越しに何か叫び、バックドアを開けようと取っ手を動かしていたが、ドアは開かない。

車体が浮いているからには、中はまだ空気があるはずだが……そう思っていると、いきなり警察官が窓に拳を叩き付けた。何度も何度も。

「…はなし…やれ。……まき……に……な」

途切れ途切れに、警察官が怒鳴っている声が聞こえた。振り上げる警察官の拳が、遠目にも赤く出血しているのが見える。それでも拳を叩きつけるが、窓はなかなか破れない。

その時、ようやくこの状況に気付いたのか、沖で操業していた漁船が猛スピードで近づいてきた。漁船が車のすぐ近くまで来て、これで助かる!

皆がそう思った瞬間、あわてたためか、なんと漁船が車に衝突した。海に投げ出される警察官。しかもバランスが崩れたためか、車が急速に沈みだした。

岸壁から見る大勢の人の前で、あっという間に車は波間に消えてしまった。出てきた者はいなかった。

しばらくして、漁船に救助された警察官が岸に連れられてきた。歩くこともできないほど憔悴した若い警察官に、皆が拍手した。

俺も手が痛いくらい拍手した。助けられなかったけど、十分頑張ったと。すると、警察官は地面に突っ伏して大声で泣き出した。そして、

「母親が、どうしても子供を離さんかった。子供が泣きながら手を伸ばしてたのに……」