パラノーマルちゃんねる | 2ch怖い話まとめ

主に2ちゃんねるから怖い話等を厳選してまとめています。洒落怖、山怖、意味怖、本当にあった怖い事件、芸能人が体験した怖い話、不思議な話、実話、長編、短編、動画他

第二次世界大戦

海岸

596:本当にあった怖い名無し:2006/08/14(月) 16:58:48 ID:65Z/yFPl0
中河原海岸 (三重県津市) 

第二次世界大戦中の7月28日、 
米軍の空襲を受け250名もの人間が命を落とした。 
火葬仕切れない遺体はこの海岸に埋められたと伝えられる。 

そして昭和30年、 
この場所で水泳教室を開いていた中学校の 
1学年女子生徒36人が溺死した。 
生存者はわずかに9人。 
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硫黄島

1:名無しさん@涙目です。(チベット自治区):2011/08/20(土) 00:19:21.68 ID:3Xqg/m5B0
太平洋戦争における日本軍は広大な地域に大量の軍を派遣しており、戦争後期は
拡大しすぎた地域への兵站は伸びきり、戦局の悪化に伴い物資の補給もままならない状態が続いた。 
兵士達は、食料などを現地調達せざるを得ない状況であった。 

戦場における怪談の中でも、硫黄島では未だに心霊現象が絶えないと聞く。 
硫黄島の戦いとは、1945年2月19日から3月26日までの、約一か月における戦いであり、
日本軍は栗林中将以下、ほとんどの兵が玉砕して果てた。 

硫黄島における日本軍の戦法は巧妙であり、地下30メートルの場所に、
長さ18キロにも及ぶ地下壕で結び、今までに例のない粘り強い戦いを繰り広げた。 
米軍は当初5日間でこの島を落とせると見ていたが、思いの他の激戦となった。
更に地下壕内では高温多湿で絶えず硫黄が沸いており、飲料水が絶えず枯渇していた。 
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洞窟
16/08/03
一応体験談で自分はクッソ怖かった話。

中学の時にある沖縄戦の勉強で、課外実習つって中学の近くにあったガマ(洞窟。防空壕)に行く授業があった。

バスで一学年ずつ別の場所をまわってくんだけど、その時自分達は一年生だったから比較的学校に近めの場所にバスで行くことに。

学校から数十分、バスの中で沖縄戦の話を聞かされ、どんより重いムードでガマに到着。

バスから降りて、梅雨明けでジメジメとクッソ暑い中、上下長そでジャージで上がり下がりの激しい砂利道を汗をかきながら必死に歩く。
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749 :本当にあった怖い名無し:2011/02/16(水) 14:30:00 ID:8iKstSqX0
今から2~3年くらい前の話なんですが、オーストラリアに旅行に行く途中の
飛行機で不思議な物を見ました。

家族と窓から外を見ていて、海がきれいだねーと話していたら「あ、飛行機がいっぱい
飛んでる!」と言うので見ると100~200機位の飛行機が編隊?を組んで
飛んでるいるのが見えました。

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314 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2015/12/03(木) 23:52:24.84 ID:6/BebpsC0.net
実話を元にした映画『ソハの地下水道』。

第二次世界大戦中のドイツ。
主人公「ソハ」は、下水道の修理人という職業の傍ら、
無人となったユダヤ人の家に空き巣に入ることを副業としている小悪党だった。

そんなある日、ソハは下水道隠れていた大勢のユダヤ人を発見する。
見逃してほしいと懇願するユダヤ人たち。
ソハはユダヤ人の足元を見て高額の口止め料を要求した。
それ以来、下水道のユダヤ人たちを匿って世話をすることがソハの副業となった。

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295 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2015/12/03(木) 17:58:11.65 ID:uMc1xqWc0.net
第二次世界大戦末期、ドイツの強制収容所が連合国によって解放されたとき、
助け出された生存者の多くは飢えて死ぬ寸前だった。
兵士はすぐさま食事を用意して生存者たちに与えた。
しかし、極限まで飢えて衰弱した生存者たちの体に普通の食事は大きな負担で、
そのうえ飢えているために夢中になって際限なく食べてしまうこともあり、
食事を与えたことが原因で死亡してしまう例が後を絶たなかった。
飢えた人間に食べ物を与える、というアンパンマンにも代表される正義が行われたにも関わらず、人が死んだという話。

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713 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2014/11/06(木) 19:01:54.84 ID:Br/BpNrs0.net
昔テレビで観た、大量の食糧と共に餓死した植物学者の実話が壮絶だった。救いはあるけど。

第二次世界大戦中、ロシアのある都市が敵軍によって包囲された。
そこには植物の研究所があり、世界中から集められたありとあらゆる植物の種が大量に保存されていた。
敵に包囲される直前、植物学者たちは都市から脱出することを軍人から進められたが、
学者達の内三人が「種を守る」と言って研究所に残った。
この研究所の種は『いつか大災害などで世界が荒廃した際に大地に蒔く』という目的で、
未来の人類のために保存されていた。

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613: 本当にあった怖い名無し@\(^o^)/ 2016/06/21(火) 16:35:46.21 ID:LdtJZU6/0
祖父から聞いた一番印象に残った怖い話。
第二次世界大戦の戦時中から戦後にかけてが青春だった祖父は、生まれつき足の向きがおかしくて歩けはすれどよほどまともな運動は出来なかったようで
徴兵は免れて広島県で家族に養ってもらいながらなんとか生き延びていたそう。戦争が終わったけど祖父達のいた広島は、原爆の影響もあって本当に地獄
だったらしい。余程戦中だった頃のほうが生活面も安全面もまともなほど荒れていたみたい。

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618 :本当にあった怖い名無し@\(^o^)/:2016/06/21(火) 16:35:46.21 ID:LdtJZU6/0.net
祖父から聞いた一番印象に残った怖い話。

第二次世界大戦の戦時中から戦後にかけてが青春だった祖父は、
生まれつき足の向きがおかしくて、歩けはすれどよほどまともな運動は出来なかったようで、
徴兵は免れて、広島県で家族に養ってもらいながらなんとか生き延びていたそう。
戦争が終わったけど祖父達のいた広島は、原爆の影響もあって本当に地獄だったらしい。
余程戦中だった頃のほうが生活面も安全面もまともなほど荒れていたみたい。
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930 : 本当にあった怖い名無し 2005/10/22(土) 11:34:10
昔ばーちゃんから聞いた話を一つ。

第二次世界大戦中うちのばーちゃん(サノ)が10歳のころお姉さんと避難のために親元を離れ田舎の遠い親戚の家に預けられていた。

しかしこの村にも爆弾が落とされたくさんの人が死に親戚の人も亡くなってしまった。
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